平成11年当時の浦和市大字玄蕃新田(現さいたま市緑区)他地区は、今でこそスタジアムや浦和美園駅が建設され区画整理が進み、道路が整備され、多くの店舗・住宅が建設されていますが、スタジアム用地を測量した当時は、土の道路に素掘りの水路、水田とクワイ田ばかりの土地でした。ここの土地は湿気を多く含んだ地盤の緩い土地で、境界杭(田の中なので腐りにくい松を利用した耕地整理杭が入っていた。)を見つけるために少し掘ると水が溢れて出てきて、水没してしまい杭が見えなくなるような状態でした。
用地測量を行った時期が夏場ということもあり、何も日を遮るものがなく、近くに店もないため、各自水筒を持って日射病にならない対策をして毎日現場に通っておりました。
また、当時は携帯電話もなく、ポケベルを持たされていたのですが、ベルが鳴っても折り返しの連絡もできない厳しい環境での測量でした。
今の整備された現地の状況や近代的なスタジアムの容姿を見ると、田と葦しかなかった当時からの様変わりに感慨深いものがあり、またその壮大な事業の一旦を担えたことを誇りに思います。